言語の多様化(2) イギリス
2018-04-25

言語の多様化(2) イギリス
言語の多様化(1)で紀元前ローマのシーザーとケルト系ブリトン人の戦いの後ローマ軍駐留撤退までのブリテン島のローマ化について触れた。その言語的痕跡は、端的にはローマ数字を頻繁に使う習慣にも見られる、とBBCがまとめた歴史シリーズ資料をネットで読むことができる。ブリテン語と併用してラテン語の使用はかなりこの島に浸透していき、ヨーロッパ大陸に広大な勢力圏ができていた。すべての道はローマに通じていたのか?
この当時の島の様子は、カズオ・イシグロの近著『忘れられた巨人』(2015)の冒頭で描かれた舞台設定をそのままあてはめて想像すればよいかもしれない。その部分は和訳で次のようである。

のどかな草地とその中をのんびりとうねっていく小道・・・
あるのは行っても行っても荒涼とした未墾の土地ばかり。岩だらけの丘を越え、荒れた野を行く道らしきものもないではないが、そのほとんどはローマ人がいたころの名残で、すでに崩壊が進み、雑草が生い茂り、途中で消滅していることも少なくなかった。川や沼地には冷たい霧が立ち込め、当時まだこの土地に残っていた鬼たちの隠れ潜む場所になっていた。
(英文The sort of winding lne or tranquil meadow … There were instead miles of desolate, uncultivated land; here and there rough-hewn paths over craggy hills or bleak moorland. Most of the roads left by the Romans would by then have become broken or overgrown, often fading into wilderness. Icy fogs hung over rivers and marshes, serving all too well the ogres that were then still native to this land.)

この後ブリトン人夫婦の暮らしぶりや旅立ちに交じってサクソン人とのいきさつが語られることになる。

私の学生時代、英文科の必読書となっていたアンドレ・モロワ著の『英国史』には、さらに簡潔に要約した箇所がある。

「この近寄り易い側のイギリスは、ロマン語とゲルマン語を画する境界線(今日ではフランドル語とフランス語を分かつ線)に直面している。それ故にイギリスは、古ローマやラテン文化の伝達者たちをチュートン文化の伝達者たちをも、迎えるようにできていたのである。・・・イギリスは、ローマ人の征服により、キリスト教により、ノルマン人によって、三度ラテン世界と接触するに至った。そして、この接触がイギリスに与える影響は甚だ深いものとなる。」

「イギリスでは、その後ゲルマン民族の侵入によりケルト語は消滅するに至った。残ったのは、・・・死滅を免れた若干の・・・」

「こうしてケルト人の多数は二か国語を話すようになった。ルンディニウム(ロンドン)では、ラテン語が話されていたが、おそらく波止場では、ギリシャ語や地中海生まれの水夫たちの話す其の他の国語も聞かれたことであろう。一人の労働者が仲間をからかうために『アンスティリスは毎日一週間の休暇をとる』と、ラテン語で書いた瓦が発見されている。」

私たちが日本の学校でおそらく一番長く習う外国語としての英語なので、この言語にまつわる歴史や文化にも関心を持つのは自然で、この言語とどう付き合うかを考えることになる。日本では古事記成立1300年という出雲神話の部分に私の関心が向かうことが多く、私の個人的な文化ないし文学の嗜好性に関わるところと英語の接点には多分小泉八雲の存在がある。

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